太肉麺(900円)
2003年2月8日久しぶりに、ラーメン食いたくなった。
仕事の昼休み。以前にも行っていた桂花ラーメンへ
行って、一番高いやつを頼んだ。太肉麺(ターローメン)
昼飯時は混んでいて、なかなか、出てこない。
なかなか。なかなか。……
待ってる間に、ここ数日頭の中をぐるぐる回ってるやつが
また浮かび上がってきた
猫つばたきは、日に日に落ち着きをなくしているようだ。
つばたきが触れば食いついてくるし(もちろん甘噛みだが)
家中の障子紙はもう爪あとでぼろぼろだ。
ゴミ箱はひっくり返すし、買ったばかりの電気カーペットカバーも
もうすでにやつのツメによって、ところどころほつれてしまった。
いつも家にいて、つばたきの代わりに猫つばたきの
(ああ、ややこしい…)面倒をみてくれている母は、
かなり頭にきているようだ。
去勢するまでだから。そしたら大人しくなるって。ホントだから。
そう言って、一生懸命なだめる。
去勢。
猫を飼うにあたって情報をあつめた際に見かけた、
サイトの多数が、去勢を肯定し、それは猫の幸せの為だという。
猫と、人間が互いに楽しく暮らす為、それは益となるという。
つばたきもそう思っていた。
数日前、猫つばたきが500gに満たない頃から
引きずり回して遊びなれている茶色のマフラーに、
噛み付いて、腰を痙攣させているのを見るまでは。
今、猫つばたきの中には、人の指にしゃぶりつく幼児性と、
己の遺伝子を子孫に伝える為に体を成熟させた本能とが、
混在している。
我々人間が、他人への使命や役割をもって生まれたりしないように
猫という動物だって、人間の為に生まれるわけではない。
彼らの使命は動物としての基本。子孫を、己の遺伝子を後世に
伝えることのみだ。
その使命に目覚める萌芽を、4ヶ月にしてもう、
猫つばたきは見せているのだ。
猫にとって、幸せとはなんだろうか。
これは、人にとって幸せとはなんだろうか、という問いと、
共通するところがあるようにも思う。
歌謡曲の多くは恋愛を歌う。
多くの物語が恋愛をテーマにし、
それらは美しく、甘美であり、強烈な欲求である。
その成就を、幸せと歌い、その破局を不幸として歌う。
愛こそ全てであり、全ては愛の下に、その価値を認められるのだ。
どんなに社会的地位が高くとも、愛する相手がいない者を
世間はなんと、哀れむのだ。
異性に興味が無いなどと、もし本気で言っている事に気づかれれば
異常者扱いされるのは間違いない。
恋愛とは結局のところ、子孫を残したいという、
本能の、遺伝子の欲求の表れなのだ。
人の幸せの根本の部分は、やはり将来へ自分の命を繋ぐことに、
非常に重要な意味を、置いているのだ。
たとえ普段意識されておらずとも、そういうことなのだと思う。
人間でさえこうなのだ。
精神活動の幅が限られていると推測される猫において、
その比重たるや、人間の比ではあるまい。
それを、つばたきは、自分の、人間の都合で、奪おうとしている。
生まれる子猫まで面倒を見きれない。
結局野良猫を増やし、事故で死に、病気で死に、
保健所に始末される子猫たちを増やすことになる。という理由で。
もっともだ。その通りだよ。かわいそうだよな?
俺だってそう思うんだ。みんなそう思うよな?
でも…、でも、猫はどうだ? 猫つばたきもそう思うのか?
人間の俺はそう思ってしまった。
でも、もし自分が猫だったら?
いや、自分が、何かに飼われていて増えたら面倒見切れないから
野良になっても事故や病気で死ぬかもしれないしかわいそうだから
去勢しておこうって、相談されていたとしたら?
(うわあああ、余計なお世話だ!ほうっておいてくれ!)
たとえ事故で死んでも、病気に倒れても、保健所につかまっても、
猫嫌いの人間に空気銃で撃たれたり、毒を盛られても、
それでも、理不尽な運命をかいくぐり、可能性のある限り戦い、
未来に己の命を伝えたいと、そうは思わないか?
恋愛をする権利自体を奪われることに、納得できるのか?
…つばたきや、家族は、猫つばたきに、
それに代わる程の価値のある何かを、
分け与えることが、本当にできるのだろうか…?
確かに、いまから猫つばたきが、猫社会に溶け込むことは、
難しいに違いない。なにせ、片目が開くか開かないかのうちに
母親の庇護を失ってしまったのだ。
しかし、本来自然に淘汰され死ぬはずだったのを生き延びたのは、
猫つばたき自身の運であり、彼はその勝ちをさらに掛け金にして、
己の命を未来へ繋ぐダブルアップをもくろんだっていいはずだ。
何が本当の幸せなのだろう。
どんな要素の集まりが、本当の幸せを作るのだろう。
決して欠けてはいけないピースは、存在するのだろうか。
仕事の昼休み。以前にも行っていた桂花ラーメンへ
行って、一番高いやつを頼んだ。太肉麺(ターローメン)
昼飯時は混んでいて、なかなか、出てこない。
なかなか。なかなか。……
待ってる間に、ここ数日頭の中をぐるぐる回ってるやつが
また浮かび上がってきた
猫つばたきは、日に日に落ち着きをなくしているようだ。
つばたきが触れば食いついてくるし(もちろん甘噛みだが)
家中の障子紙はもう爪あとでぼろぼろだ。
ゴミ箱はひっくり返すし、買ったばかりの電気カーペットカバーも
もうすでにやつのツメによって、ところどころほつれてしまった。
いつも家にいて、つばたきの代わりに猫つばたきの
(ああ、ややこしい…)面倒をみてくれている母は、
かなり頭にきているようだ。
去勢するまでだから。そしたら大人しくなるって。ホントだから。
そう言って、一生懸命なだめる。
去勢。
猫を飼うにあたって情報をあつめた際に見かけた、
サイトの多数が、去勢を肯定し、それは猫の幸せの為だという。
猫と、人間が互いに楽しく暮らす為、それは益となるという。
つばたきもそう思っていた。
数日前、猫つばたきが500gに満たない頃から
引きずり回して遊びなれている茶色のマフラーに、
噛み付いて、腰を痙攣させているのを見るまでは。
今、猫つばたきの中には、人の指にしゃぶりつく幼児性と、
己の遺伝子を子孫に伝える為に体を成熟させた本能とが、
混在している。
我々人間が、他人への使命や役割をもって生まれたりしないように
猫という動物だって、人間の為に生まれるわけではない。
彼らの使命は動物としての基本。子孫を、己の遺伝子を後世に
伝えることのみだ。
その使命に目覚める萌芽を、4ヶ月にしてもう、
猫つばたきは見せているのだ。
猫にとって、幸せとはなんだろうか。
これは、人にとって幸せとはなんだろうか、という問いと、
共通するところがあるようにも思う。
歌謡曲の多くは恋愛を歌う。
多くの物語が恋愛をテーマにし、
それらは美しく、甘美であり、強烈な欲求である。
その成就を、幸せと歌い、その破局を不幸として歌う。
愛こそ全てであり、全ては愛の下に、その価値を認められるのだ。
どんなに社会的地位が高くとも、愛する相手がいない者を
世間はなんと、哀れむのだ。
異性に興味が無いなどと、もし本気で言っている事に気づかれれば
異常者扱いされるのは間違いない。
恋愛とは結局のところ、子孫を残したいという、
本能の、遺伝子の欲求の表れなのだ。
人の幸せの根本の部分は、やはり将来へ自分の命を繋ぐことに、
非常に重要な意味を、置いているのだ。
たとえ普段意識されておらずとも、そういうことなのだと思う。
人間でさえこうなのだ。
精神活動の幅が限られていると推測される猫において、
その比重たるや、人間の比ではあるまい。
それを、つばたきは、自分の、人間の都合で、奪おうとしている。
生まれる子猫まで面倒を見きれない。
結局野良猫を増やし、事故で死に、病気で死に、
保健所に始末される子猫たちを増やすことになる。という理由で。
もっともだ。その通りだよ。かわいそうだよな?
俺だってそう思うんだ。みんなそう思うよな?
でも…、でも、猫はどうだ? 猫つばたきもそう思うのか?
人間の俺はそう思ってしまった。
でも、もし自分が猫だったら?
いや、自分が、何かに飼われていて増えたら面倒見切れないから
野良になっても事故や病気で死ぬかもしれないしかわいそうだから
去勢しておこうって、相談されていたとしたら?
(うわあああ、余計なお世話だ!ほうっておいてくれ!)
たとえ事故で死んでも、病気に倒れても、保健所につかまっても、
猫嫌いの人間に空気銃で撃たれたり、毒を盛られても、
それでも、理不尽な運命をかいくぐり、可能性のある限り戦い、
未来に己の命を伝えたいと、そうは思わないか?
恋愛をする権利自体を奪われることに、納得できるのか?
…つばたきや、家族は、猫つばたきに、
それに代わる程の価値のある何かを、
分け与えることが、本当にできるのだろうか…?
確かに、いまから猫つばたきが、猫社会に溶け込むことは、
難しいに違いない。なにせ、片目が開くか開かないかのうちに
母親の庇護を失ってしまったのだ。
しかし、本来自然に淘汰され死ぬはずだったのを生き延びたのは、
猫つばたき自身の運であり、彼はその勝ちをさらに掛け金にして、
己の命を未来へ繋ぐダブルアップをもくろんだっていいはずだ。
何が本当の幸せなのだろう。
どんな要素の集まりが、本当の幸せを作るのだろう。
決して欠けてはいけないピースは、存在するのだろうか。
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